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イングレスってなんだろ〜

 

イングレスってなんだろ〜

Ingressってなんだろな〜

 

2年前からそれは存在していたらしい

いわゆる位置情報ゲーム

スタンプラリーのように現実世界の各地をめぐる必要があるんだって

これが流行った頃はさぞかし、スマホを片手にうろうろした人が増えたことでしょう。

 

 

それはそうと、誰かに教えてほしい。

 

スマホを持って歩いてる人や、電車内でスマホを触ってる人達のことを

まったく気にしなくてもいい方法を。

 

自分もみんなと一緒にスマホを触る以外の方法で。

 

その様子を見ても嫌な気持ちにならない考え方を知りたい。

 

バックからスマホを出さなくなった。

 

電車の中は電波遮断してくれないかな?

 

いや、自分が電波遮断マシーンを作って、スイッチをいれると自分の半径50Mは

 

電波が遮断されるようにすればいいのか。

 

どこかに売ってないかな。

 

明日秋葉原行こうか。

 

 

 

そもそもなんで自分が嫌な気持ちになるのか。

 

そこがおかしいんじゃないか。

 

誰もがスマホを触ってる様子をみると、

 

自分達が誰かに操られてるような気持ちになって、落ち込んでくる。

 

ほぼ洗脳されてるといっていい。

 

でも洗脳の何がいけないかっていうと、別にそれはわからない。

 

洗脳はされたほうが気持ちのいいものだし、人は自分で何も考えなくていい状態が居心地がいいと感じるものだから

 

頭からっぽで自分が考えなくても、様々な誰かが考えた答えをスマホから見つけ出して

 

それに賛同、または否定するだけでいいから、楽だ。

 

その行動により、自分で意見を持っている、自分で意見を考えた、かのような錯覚に陥ることができるのだ。

 

 

 

 

 

 

といったようなことを、考えてしまうから、スマホを持ってる人を見たくない。

 

飲んでる時に、スマホを出されると腹が立つ、今だに。

 

 

 

とはいえ、

 

 

人を変えるより、自分が変わったほうが早いので

 

見ても大丈夫な思考に、早くたどりつきたい。

 

 

 

 

 

 

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本当に狂ってないといえますか

 

昨日のブログで頭の狂った地球人が、と書きました。

 

頭が狂ってる状態って、何を持って判断することができるのでしょうか。


多くの人が正常と呼ぶことは、正常だし、異常と呼ぶことは異常になるとしたら

 

多数決の世界になってしまうので、とても怖いです。多ければ正しい、とは限りません。

 

多くの人がそう思う、ということは常識と呼ばれる時もあります。

 

「そんなの常識だから。」

 

とか言う人っていますけど、まぁ言われた時はいつも、は?と思いますけど

 

言ってくる人はそう思って日々生きてるわけですから、見えない何かに怯えて暮らして

いらっしゃるんだろうな、大変だな、僕にはとてもできない。と

 

思うことで何とか、イライラを抑えます。

 

でも、自分に甘く人に厳しい人だとしたら、人に常識を押し付けて自分は無法地帯で

 

のうのうと生きてる人かもしれません。

 

のうのうと暮らすってどういうイメージでしょうか。

 

ハンモックにゆらゆらとゆられて、午後は本を読みながらティータイム。でしょうか。

 

そんな暮らし憧れますね。でもハンモックがある時点で都心ではないでしょう。

 

東京まで新幹線で1時間、乗り換えて30分の駅、そこからバスで20分くらいでしょうか。

 

そのような場所でのんびり暮らすことが、「のうのうと暮らすこと」であれば

 

それほど羨ましくない気もしてきます。

 

相手の人生が羨ましくない人、に「そんなの常識だから」と言われても

 

それは「あなた」の世界の中だけであって、「私とあなた」の世界にその常識を引き合いに出されても

 

困ります。

 

常識は人によって違うものなので、「狂ってる」という判断も、共通認識かどうか、ハッキリとはわかりません。

 

狂ってる人達から見れば、狂ってない人のほうが狂ってるように見えるでしょう。

 

狂ってるって概念がなんだかおかしいですね。 

 

あなたは本当に自分が狂ってないと言えますか?

 

はい!私は今!狂っておりません!

 

と、両手をあげてバンザイできる人は多くないでしょう。

 

相手と自分の違うところを見つけて排除するより

 

絶対わかりあえない人にも、共通点を見つけて寄り添いたい、

 

いや寄り添うことはできないけど

 

理解不明の考えを理解しようとすることが大事ですね。

 

 

 

いや大事だと思いますって何に対して、「大事」なのかがわかりませんけど。

 

大事にしたければ、大事にすればいいのであって、理解不能の人を排除したければ

 

排除すればいいんですけど、そんなに排除ばっかりしてたらいつかあなたが排除されますよって

 

思いますけど、しかしながら、排除されて困ることって逆になんなんですかね。

 

いじめられない方法を探すよりも、いじめられても別に気にしない心とフィールドを持ちたいと

 

思う次第です。

 

人間っていっても所詮、原子の塊にすぎないですからね。

 

たまたま目に見える大きさをしてるから見えてるだけで

 

微粒子のような大きさであれば、きっとそれに何をされても気にしません。

 

そんな考えで気持ちが落ち着くのであれば、

 

こんな僕は顕微鏡でも買ったほうがいいのかもしれませんね。

 

 

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そろそろ地球にきてほしい

 

「罪のない人々が犠牲になった」という言い回しはよく聞きます。

 

これを聞くと、なんてかわいそうなのだろう。と思いますね。

 

罪がない→のに 犠牲になった→から かわいそうだ、と思う流れです。

 

では、罪のある人々が犠牲になるケースってどんな時でしょうか。

 

 

難しいですね。

 

 

 

何か犯罪を犯した人が犠牲になる場合でしょうか。

 

そもそも罪ってなんなのでしょう。

 

人が人を裁くってどういうことなのでしょうか。

 

私に人を裁けるでしょうか。

 

裁けませんね。

 

私が裁いたら、それは私刑です。

 

私刑は認められないですね。でも私刑は日々行われています。

 

何となくそれ、だめなんじゃない?ってことをすると私刑です。

 

空気が読めないと、私刑です。

 

正しくないことをすると罰が与えれます。

 

でも正しさは時代によって変わるので、統一された感覚、ではないです。

 

 

無実の市民が犠牲になった、という言葉もよく聞きます。

 

ただの市民なのに、、かわいそう。と思いますね。

 

しかし、では市民ではない人ってどういう人でしょうか。

 

政治家でしょうか、公務員でしょうか、芸能人でしょうか。

 

どれも市民には変わりありません。

 

市民っていう括りはなぜ必要なのでしょう。

 

もっと大きく日本人と括ってはどうでしょう。

 

いや、地球人と括りましょう。

 

でかい枠組みのほうが統一感がでます。

 

頭の狂った地球人が無実の地球人を殺しました、と

 

この世には人間は地球人しかいないので、あいつと自分を区別する境目がなくなります。

 

境目がなくなることはいいことですね。

 

偏見で人を見ることがなくなります。区分が同じなので。

 

しかし実際、国で分かれ、地域で分かれ、性別で分かれ、仕事で分かれ、年齢で分かれ、家庭環境で分かれ

 

偏った考え方に、相手をあてはめて判断することが多いです。

 

それが良いとか悪いとかではなくて、さらにいえばなるべく偏見をなくしたいという願望すらもあまり意味を持たないことでは

 

あります。

 

それは差別だ!と叫ぶ人が犯してる「差別」はどれだけ大きいだろう、と考えるからです。

 

火星人でもいれば、まだいいんでしょうけど。

 

木星人とか、そろそろ地球に来てくれないですかね。

 

地球の中だけで、争っている場合ではないぞ、地球が侵略されようとしているのだ。

 

と同じ方向を向きたいものです。

 

こんな僕はインディペンデンスデイを見に行ったほうがいいんじゃないですかね。

 

 

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プロフィール

 

こんにちは

 

「exってやつ」ってタイトルのブログを気合いを込めて書きました。

 

投稿ボタンを気合いを込めて押しました。

 

なんかエラーになって全部消えました。

 

その絶望感といったら、あの時ぐらい悲しかったです。

 

落ち込みましたが、きっと書く必要のないブログだったんだ!と思い直すことにしたら元気になりました。

 

しかし、今はとても頭が痛いです。熱っぽいですが体温計が見当たりません。

 

しかし、熱を測ったところで頭が痛くなくなるわけではないので、いいとします。

 

プロフィールにSAMURAI JACK UNIVERSEとまた書くことにしたんですけど

 

その理由についてのブログは先日消えたので、また気が向いたら書きます。

 

 

 

 

 

近頃筋トレを始めました。腹筋の写真を載せちゃう系男子、に早くなりたいです。

 

 

 

 

 

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たいくつ

ついていい嘘とついちゃいけない嘘があるとして

 

なんだか今は

 

面白くなくて、退屈なものを、退屈だ。といえずに

 

楽しかった。と嘘をついてる。これはついちゃいけないほうの嘘ではないか。と思っている。

 

見栄か?

 

誰にたいしてなのかわからない。

 

くだらないものを選んでる自分を騙してるのかな。

 

でも自分は騙せない。

 

この笑顔は偽りか?

 

夜になるとせきが出る。

 

せきが出なくても息苦しい。

 

共感から少し離れたほうがいい。

 

気が変わることが多いから明日何を考えてるかわからない。

 

そんなことは当たり前で、

 

気が変わることが多いのは何も「私は」と言うほどのことでもない。

 

気分屋だからな〜ってアホか?

 

それにしても

 

suchmos はインターFMがあうな。

 

フジロックにもぴったりだ。

 

行ったことないから行ってる人の気持ちはわからない。

 

想像の中では、行ったら、行ってる自分マジいけてるぜ〜、と

 

思いそうな予感はする。

 

いけてるってしかし、何にたいしての?

 

と思うけどたぶん

 

行かなかった去年までの自分にたいしてだろう。

 

それなら許せる。

 

去年よりも今年の俺いけてるぜ〜

 

という主張。

 

行きたいと思うフェスは全部売り切れてる。

 

チケットは売れ残ってても駐車券が売り切れてるんじゃ行く気がなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ジブリの大博覧会

 

今日はすごぶる調子がいいぜ。しかし咳をすると血の味がする。

 

六本木ヒルズでやってるジブリの大博覧会に行ってきた。

大好評につき、始まったばかりでもめっちゃ混んでる。

 

チケット代は2,300円から1,800円に変更された。

前売り券も当日券も料金は同じ。

前売り券は窓口で入場券と引き換えなくてはいけないから、早く入れる。ということはない。

森美術館ではなくて、展望フロアの通路でやっている。

 

猫バスが中にあって、並ぶと2分間乗れる。

ここは写真を撮るより、毛並みを優しく触るとよい。

 

その先に飛行船が飛んだり降りたりしている。

 

もののけ姫の、ボツになった映画のキャッチコピーが掲載されてたのが

興味深かった。

 

「4歳と14歳で行きようと思った。」

が、一番好きなコピーだな。

 

最初は日曜日に行って混んでてあまり見れなかったから

次の日にまた行った。

この日はホントはあるライブに行きたかったのだけど、色々あって行かなくなって

しかし帰る気もしなくて、行った。

 

外国人観光客で結局混んでいた。そして写真を撮りまくっていた。

写真を撮ってはいけない場所で、外国人が写真を撮る姿はなんだか風物詩のようでもあるので、気にならなかった。

 

当然ジブリ作品が見たくなったので、魔女の宅急便を昨日見た。キキのすぐ怒る性格、最高だぜ。

ウルスラの小屋の音楽が好きで、中学生の頃はウォークマンにその音をテレビから録音して聞きながら通学していた。

 

そういえばチケット代ってなんで前売りと当日とで金額が違うことがあるんだろう。と考えた。

事前に予定を空けてくれてありがとう代、だと思っていたけど、なんか違うような気がしてきた。

当日と前売りが同じ金額だと、誰も前売り買わなくなるのもわかるけど、

同じでも前売りが売れまくる世の中だったらいいな。

 

博覧会を見たあと、六本木ヒルズをうろうろ徘徊していたら、ゲイのカップル風の二人が草むらの中で

手を繋いで座っていた。幸せそうな顔をしていたよ。

 

 

 

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白フェス2016

 

白フェスに行ってきた。

ドリンク代だけで入れるフリーフェス、下北沢MOSAiC。

 

Inside of the door はマジでクソ最高すぎてどうにもならない。一体どうなってんだ?

イロムクの藤沼君にあとで写真を撮ろうぜ!と言ってそれっきり見失った。

スリマの風間君に、ブログ最高だぜ、と伝えた。

モザイク店長、森本さんはなんだか若返っていた。

移り変わりの激しい世界だと思うけど、モザイクはスタッフも出てるバンドもあまり変わらない気がして、

そこが帰りたくなる場所感を出してるんだろうと思った。

 

ライブハウスの前にバンドマンとお客さんが入り乱れていて、なんか懐かしい景色だと思った。

懐かしむほど時間は経っていないんだろうけど。

 

こういうイベントではマナーの悪い人は目立つ。

 

それはまぁしょうがないのだけど、起こったことを文章にすると、その場の空気感が無視されるから、

だいたいのことは卑劣で最低なことになるな。と思った。

 

監視社会にみんな疲れてるはずなのに、監視をやめない。

 

 

 

 

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それはそれで悪くないな。

 

選択肢を間違えてばっかりだなと、思う。

 

選択肢はたくさんあるようで、本質的には

 

二択であるはずなのに

 

なんでいつも間違えるんだ?

 

間違えたからって、選択することはやめないんだけど。

 

試して壊して試して壊して、また試す。

 

よく誰かの歌で、壊してまた拾い集める、的なことが唄われてるから

 

みんな壊したいんだな。自分だけかと思ったよ。

 

自分だけ、なんてことはもしかして一つもないんじゃないか?

 

それはそれで悪くないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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理想像

バンドはこうあるべきだという自分の理想を押し付けることが、

 

バンドを殺すことに繋がると気がついてない人がいるけど、

 

そんな個人の考え一つだけで死ぬようなバンドは早々に死んでいいとも思う。

 

でも、小さい個人の考えで気持ちが大きく揺さぶられることはある。

 

バンドのはじまりはたった一人に伝えるため、だったりするから、

 

一人の意見や考えで、迷ったり苦しんだりするんだろうな。

 

一人の声は百人の声を凌ぐ時もある。

 

数とか、大きいとか小さいとか、そんなものは関係ないんだな。

FAKEを見た

 

FAKEを見てきた。

オウム真理教をテーマにしたドキュメンタリーを撮った、森達也監督の映画。

見る前は、聴こえるのか聴こえないのか、見ればハッキリするんじゃないか、くらいの気持ちだったけど

見た後は、もうどっちでもよくなっていて、そんなことは問題じゃない。と思った。

 

この映画で考えなきゃいけないことは、偏った報道によって、自分たちの気持ちや感情、怒りは

簡単に操作されてしまう、という部分だろうと思う。

事実と異なっていても、面白いと思う方に報道は転がっていき、それにみんなでのっかり

同じ方向に突き進んでいく。後からやっぱり事実ではなかった。といってももう遅い。

過去にもそういったことはたくさんあったけどいまだにそういう過ちは繰り返される。

 

なんで自分達はこんなにメディアを信じるんだろう。偏りのある視点を、客観的視点と勘違いし

自分で考えないで結論つけてしまうのだろう。

 

映画の中で、森監督の手腕によって、見てる側も、やっぱりこの人は嘘なんじゃないか?

いや、この人は嘘は言ってない。世間が間違っているのだ!いや、やっぱり。。この人は怪しい。。。どっちだ?

と何度も思わされる。やりかたがうまい。

真実は、見せ方で変わる。

 

実際のところどうなのか?は、たいした問題じゃなくて

あまりにも偏った報道によって、僕達の気持ちは簡単に操作されてしまう、ということが怖い

自分たちで考えなくてもすむような仕組みなっているのを感じる。

 

全体の流れが一度決まってしまうと、それが事実であれ嘘であれ、もう止まらない。

 

客観的に見ることが大事だと思い込んでいたけど、大事なのは主観。

そして、その意見が誰かの主観であると知りながら情報を見ることが大事。

 

自分の考えと全く違う考えに直面した時、どういう態度に出るべきなのか

吸収したいと思うか。全否定するか。

 

FAKE。おすすめです。 

 

 

 

 

 

 

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