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マナーとか

マナー違反の批判に対して、同意できないことが多い。

自分としてはそんなことマナー違反と思わない、ということで怒ってる人が多い。

ポイ捨てした人がいたら、そのゴミを自分が拾ってあげればそれで終わりだ。

やってあげてしまってはその人のためにならないとか、考えるのかな。

なんでその人のために怒る必要があるのだろう。みんな逆に優しすぎ?なのかな。

優しすぎるからマナー違反を許せず怒りだすのだとしたら、なんか変だ。

でも本人たちはそう思っているのかもしれない。

自分がこんなにしっかり守っているのだから、他人が守らないのは許せない。という発想か。

そもそも誰かのマナー違反を怒る人は、自分自身はマナーが良いと思っている可能性が高い。

いや、そうでなくては話が矛盾してくる。

そう考えるとほとんどの人は、誰かに注意できるほどの高尚な人間ばかりということになる。

それとも、それとこれとは話は別。確かに私は食べ方も汚いし、優先席も座るけど、歩きたばこだけは絶対にしないから。

とか、そういった解釈に包まれて、自分を正当化させる技に成功しているのだろうか。

 

自分の許容が大きいとも思えないので、何かを正そうとする正義感らしきものが自分には大幅に欠けているのかもしれない。

自分が我慢をすればいい、とすらも思わない。そもそもの発想がかけ離れて違う。

違うからこそ理解できない。

 

お互いを理解できない物同士が議論しているけど、お互い意見を変える気が最初からないのに、何をやってるんだろう、と思う。

誰かの気持ちを変えたくて、変えたくてしょうがないらしい。かくいう自分といえば、もっとマナー違反について怒る人が

少なくなればいいのに。と願っている。マナー違反をする人を減らすより、そっちのほうがいいと思ってしまう。

近所の公園はゴミだらけだから、よくゴミ拾いをしているのだけど、その時に、

自分が15歳くらいだとして、地元の友達と公園で深夜に遊んでいたとして

花火とかやったとして、終わった時にゴミちゃんと捨てて帰ろうよ。っていうノリを出すことができるかな〜

できない場合も全然想像できるな〜それぐらいちゃんと言える友達がいたほうがいいに決まってはいるけど

それは言うがヤスシだよな〜、だとすればその場のノリを考えて華麗にポイ捨てしていただいて、友達と仲良くやってもらって

ゴミは自分のような人が拾えばいいよな〜。ということを想像している。

学ぶ機会なんて他にあるし、それが責任転嫁だっていうなら責任転嫁なんだろうな〜と思いながら。

 

そして自己責任って言葉にも過剰に反応したくない。自己責任って言葉嫌いすぎだろう。

もっとカタカナのかわいい感じの表現にしたら、もっと柔らかく浸透するかもしれない。

 

at 13:39, あおき, コラム

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